帰国そして日本での生活

1936年(昭和11年) - 1948年(昭和23年)


舞台稽古 舞台稽古

帰国した永瀬は、フランスで制作した作品の展覧会を大阪、呉などで催しました。関西経済界の人たちとの交流が広がり、永瀬夫婦は神戸市に居を構えます。この頃の貴重な1枚に「舞台稽古」があります。1934年(昭和9年)にフランスで描かれた油絵で、題材といい画面の陰影といい、フランス近代絵画の影響を強く受けた作品です。細部にこだわらずに、明暗の平面構成によって描き出しているのが特徴で、手前のピアニストを暗く描き、さらに後ろを単純化することによって舞台の奥行き感を出しています。近代絵画は遠近法からの解放が一つの課題で、いろいろな画家がさまざまな方法を試みています。永瀬もフランスにおいて、その雰囲気を十二分に感じ取っていたのではないでしょうか。


1938年(昭和13年)妻テロンデルの希望で大阪に移り、フランス料理店「グルマン」を開きます。

大阪時代の永瀬 大阪時代の永瀬


「グルマン」はフランスの家庭料理がおいしく食べられるということで、たいへん評判になり、永瀬の仲間も随分大勢でやってきました。2階が永瀬のアトリエとなっていたので、関西画壇の社交場ともなっていたようです。

フランス料理店「グルマン」 フランス料理店「グルマン」


広島への移住


1943年(昭和18年)、戦争が本格化するにつれ危険を感じていた永瀬夫婦は、大阪の店を閉め、妻の郷里広島県の風早村に疎開しました。永瀬は海を見下ろす小高い丘に煙草の乾燥倉を購入、改造して2階建ての洋館を自らの手で作り上げます。この新居は誰言うともなく、まわりから「シャトー・ダムール 愛の城砦(じょうさい)」と呼ばれるようになりました。この地域は魚も野菜も豊富で、戦時中でも食糧不足とは無縁の世界でした。衣類などとの物々交換で食材を手に入れ、生活を送っていたようです。永瀬はこの地で終戦を迎えます。

シャトー・ダムール シャトー・ダムール


広島での戦後の活動


つつじ つつじ

永瀬義郎と言えば版画家として知られていますが、終戦直後は油絵をたくさん描いています。東京の中央画壇と関係を持つようにと助言する人もありましたが、永瀬はそうした言葉に左右されることなく、広島での創作活動を続けました。  1945年に描かれた「つつじ」、1947年の「部屋の中」、続く1948年の「雨」、この3点は50代後半となった永瀬の充実ぶりを示す油絵の名品です。


雨 雨

特に、梅雨時の段々畑を描いた「雨」は印象派風の明るい色調で、田園風景のほのぼのとした雰囲気を見事に伝えています。遠くに見える山並みのぼかし、雨に煙る棚田など、その繊細な色調表現は永瀬の画家としての技術の高さを示すものでしょう。この作品は当初日展に出品するつもりだった、と後年永瀬は語っています。


部屋の中 部屋の中

戦争を体験していながら、永瀬の絵にはそうした暗さはありません。おそらく、そうした悲惨な状況を表現したくなかったのでしょうし、深刻な題材は自身の体質にもあわなかったでしょう。永瀬には苦境に遭っても、それを悲観的に捉えない寛容さがありました。永瀬の戦時中の生活は比較的恵まれていたものでしたが、たとえ過酷な状況に遭ったとしても、そうした経験をテーマには選ばなかったと思われます。



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